昭和も 遠ざかり 今は もう消えてしまった あの なつかしい 仕事場 広く 全国から集い きそい合い また 去って行った人々 さまざまな形で 残したあしあと
できることなら いま一度 振りかえって あの頃 そこに わたしたちが居たことの あかし(証)のような 何かを探したい あの仕事場の ・・・
小田急相模原駅の今昔
下は、相模工場画面の「小田急相模原駅」切り替え表示の全写真と地図を並べたもの。一枚目は、戦後間もない、昭和23年のもの。
7年後、昭和30年、最早戦後ではないと言われた時代。
31年の写真。
家が少しづつ増えている。
そして、昭和36年の写真は、高度成長時代の中、畑、林が宅地へと急速に変わっていく。
相模工場の竣工は昭和39年、まだ、畑がたくさん残っていた時代だった。
相模工場は、この地図、写真の真下の方向になります。
航空写真原画像は大版写真、その近くの地域も出てきますが、
竣工当時、工場付近は、駅から離れていることもあり、畑の多く残る地域だったようです。
さらに、66年後の平成25年のGoogleの映像です。
人家の少ない畑地であった事は確認される。
左下の道路が直角に交差する地点が相武台団地入口交差点、この道を斜め下に伸びるのが国道50号、
この道をさらに進んだところに、明石製作所相模工場は建設された。
この写真、原版の1/4であるが、メモリの小さなパソコンでは、表示が難しいようです。