本社 丸の内の 仲8号館

丸の内に本社がある。これだけでも、何か、誇らしいような、そんな場所だった。そのためか、「仲8号館」、その時代、僅かに関わっただけの世代も、忘れられない響きとして、記憶に残ってるらしい。

ネットで、仲8号館で、検索してたら、出てきた写真でした。第十二号館で建造され、後、仲8号館に改称。

『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 三菱地所株式会社、平成5年(1993年)
旧名称 第12号館 設計者 保岡勝也、本野精吾、内田祥三
建築主 三菱合資会社  事業主体 三菱地所  構造形式 煉瓦造・鉄筋コンクリート構造  延床面積 1,385坪  階数 地下1階、地上3階  高さ 51尺2寸5分 着工 1907年(明治40年)7月20日 竣工 1910年(明治43年)8月5日 改築 1956年(昭和31年)解体 所在地 東京都千代田区丸ノ内3-8

wikipedia では、「三菱仲8号館」は、★1956年★(昭和31年)別館と共に取り壊して、跡地に新東京ビルヂングと称する建築の第1期部分を完成させた・・とある。

でも、「生産研究」★1958年★ 8月 1日(昭和33年)(発行 東京大学生産技術研究所)には、明石の広告(電子顕微鏡 TRS-50)に、本社 東京都千代田区丸の内仲8号館 電話千代田(27)-7871とある。2年前、取り壊しのビルを住所に・・・ http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/30731/1/sk010008009.pdf するだろうか?

鶴見寮坂戸寮入寮者昭和36年入社の社員は、★1960年★(昭和35年)秋、入社試験に本社仲8号館を訪ねた。。。。なぜだ 4年前、取り壊しのビルを訪ねた・・・誰か、この謎を解いて下さい。

***** ***** ***** ***** *****  本社 丸の内の 富士ビルとその周辺  ***** ***** ***** ***** *****

現在ある新東京ビルヂング、その場所に、仲8号館があった。
仲8号館取り壊しで、新ビルの完成を待つ訳にはいかない。お隣の富士ビルに移る。そんな経過だったろうか。

相模工場が造られ、品川工場からの諸設備の移送等の都合であったろうか。
品川の技術、設計部門が、一時、この富士ビルに居たことがあった。

キューバ危機もこの頃であったような。
お昼休みには、二重橋まで、散歩したこともあった。

都庁が、まだ、新宿に移転してなくて、昼御飯で、都庁の食堂に行った事も。
でも、あれは、正確には、何時から何時の期間であったのか。
もう、思い出す手掛かりが無い。



今、(平成23年秋)、この富士ビル周辺も、当時とは変わり、高いビルが多くなりました。

上は、Google Earth で見た図です。赤い風船マークが富士ビル。 左上の白い小さな橋が二重橋。
右下が東京駅です。白い点が二つづつ並んでるのが、東京駅赤レンガの駅舎の屋根です。


上の写真とは90度回転した位置関係になります。

東京中央郵便局は、その後改築、全面はかつての面影を残し、後ろに高層ビルになっている。 写真はそれ以前のもの。
この改築には、当時、鳩山総務相の時代、遺産として形を残すか否か揉めるといった事もあった。

東京駅の丸の内側の赤レンガ本駅舎は、東京大空襲で破壊され、戦後は縮小復元された。
その後、本来の形態に復原することとなり、2007年(平成19年)5月30日より工事開始、
2012年(平成24年)10月1日に完成、全面再開業した。

仲8号館と同じ建て方の、煉瓦の外装を残した建屋、
この三菱一号館美術館は、富士ビルから交差点を挟んで斜向かいにあります。

上のGoogle Earth では、低い建屋のためか、立体表示されず、
埋もれていますが、赤レンガは、やはり優雅な佇まいです。
この一画は、丸の内ブリックスクエアという名称で、美術館の建物を背景に、 木々を植え、上品な喫茶、レストランもある。
日曜にも人の賑わいがあり、かつての堅いオフィス街のイメージを変えている。

富士ビルと交差点を挟んで斜向かいの歩道に、江戸時代の丸の内の地図があった。
図中に「現在地」表示があります。拡大し、現在の地図を確認して下さい。
松平相模守慶徳の屋敷の所に、現富士ビルの表示がある。
拡大にたえるよう、元の写真の解像度を高くしたため、図を読み出すのに時間がかかります。
「+」のボタンをクリックして、拡大して、富士ビルを探して下さい。

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