鶴見寮 横浜市鶴見区生麦? 東寺尾寮 鶴見区東寺尾 

昭和36年4月発足の明石社員寮は、下の図中の鶴見寮と東寺尾寮の二つであった。
(地図はグーグルの https://maps.google.co.jp/maps のデータ) 上の緑の領域が総持寺及び鶴見大学、左下の楕円のトラックは花月園、駅は上が京急鶴見、下が花月園前駅。そして、寮は赤丸の二ヶ所。

明石新入社員達の、社会人生活のスタートの思い出深い場所であった。
しかしながら、その年、海を見下ろす崖っぷちの木造二階建ての鶴見寮は、
大雨で地盤崩れの危機に。
寮生は、急遽、東急電鉄の奥沢、東寺尾寮の空き部屋に分散し、避難することとなった。
そして、明くる年、昭和37年、新たに、坂戸寮が用意され、鶴見寮のメンバーが移動する事となった。
下は、当時の写真、外壁は板張りだったようだ。まだ、クーラーなど無い時代。
夏は、窓を開け放ち、上半身裸のステテコ姿で涼んでいた。
崖っぷちだから、眺望は最高。
しかし、海岸には、日本鋼管他の工場の煙突吹き出し口が丁度同じ高さ。
(2003年4月川鉄・NKK{日本鋼管}で会社分割、事業再編しJFEスチールに)
ピンク色など、怪しい色の煙が直撃してくることも。

(上の写真提供 新名雄史様)

時は過ぎて、平成24年の今、Google のストリートビュウで見ると下の写真。
かつての寮から見下ろしていた、下の道路から、逆に見上げた風景である。
茶色のマンションが、問題の崖の斜面を覆うように建っている。
崖崩れを防ぎ、かつ、畑にもならない急斜面を住空間に変えていた。
建築家、安藤忠雄が神戸で斜面に創った街には勝てないかも知れないが、
眺望の良さはセールスポイントになっただろうか。

下は、京浜東北線新子安駅から鶴見駅に向かう、電車の車窓からの風景動画です。
(平成22年8月29日、明石会に向かう時の撮影)

「間もなく鶴見」の車内放送の始まる頃、かつての崖をカバーするかのように、
茶色のマンションが見られます。その上部に、かつての明石鶴見寮があったようです。
上の写真と照合しながら、見つけて下さい。

 東寺尾寮 鶴見区東寺尾東台21

総持寺の門を右手に見て。前に進むと、駐車場のある広場に出る。
左手の林の中の坂道を登ると、東寺尾の高台の広い道に繋がり、視界が開ける。
道なりに進み、交番の所で左手に進み、四辻まで進む。
この辻の向かいにある一角が、かつての明石東寺尾寮。

下の写真は、その場所まで進み、来た道を振り返った風景、電柱が四つ辻、その先、林が総持寺。
右手の二つの家は、かつての寮の跡に、建て替えられたもののようである。
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