昭和も 遠ざかり 今は もう消えてしまった あの なつかしい 仕事場 広く 全国から集い きそい合い また 去って行った人々 さまざまな形で 残したあしあと
できることなら いま一度 振りかえって あの頃 そこに わたしたちが居たことの あかし(証)のような 何かを探したい あの仕事場の ・・・
小金井製作所社史からの明石和衛と創業者山本敬蔵
山本敬蔵明治18年10月11日 広島県福山市で生まれる
明治36年 福山誠之館中学校卒業 上京 親戚倉井忠方に寄寓
明治41年 アンドリュー商会に入社(23歳)米国製工作機械販売担当
大正04年 機械販売部長(30歳)
大正13年 明石和衛社長より、独の工作機械輸入事業を譲渡され、山本商会創業
大正12年の関東大震災では、明石製作所の工場は、東京市浅草区七間町にあった工場が罹災。
そのため、精密機器国産化の製造を一時中止し、丸の内仲七号館に事務所を置き、
ドイツ、スイスから、機械の輸入販売を行っていた。
その取扱い機器の中に材料試験機も含まれていたが、改良すべき余地があると知る。
そして、明石独自独特の試験機開発に成功する。
再び、精密機器製造に専念しようと計画、機械輸入事業は信頼できる人に譲りたいと考えた。
その対象者として、山本敬蔵を紹介され、山本商会の創業に繋がる。
下の情報は、「小金井製作所社史」小金井製作所編 1985年11月出版
神奈川県立川崎図書館所蔵のものからコピー。