昭和39年春? 社員総勢250名 長瀞観光へ                1964年

1964年(昭和39年)の事だったろうか。
写真の中に、当時39年の新入社員を見つけたから、少なくとも1964年以降の記録である事は確か。
1964年とすれば、東京オリンピックの年。流行歌は「ウナ・セラ・ディ東京」。
トランジスタを採用した電卓の1号機が誕生、シャープから、価格は535,000円。

この写真の総人数は何人でしょう?数えてみました。もう、酔っ払ってる人も少数いたのか?横向いたり、人の影に隠れたり、正確なカウントは難しい。でも、240超 250名に近い数字。
写真クリックで、もう少し、顔が見えるよう、拡大表示します。
     (画像情報提供者 藤井吉則様・室伏信吾様) 左端には、長瀞老舗「長生館」の旗も見える。前列中央、明石和彦社長の前には社旗が広げられて。
日本の高度成長もまだ続いていた。前方には、明るい明日が・・・

この写真から得た人数と、ネットからの限られた情報から、明石の社員数の伸び率は以下の通り。
大正10年 (1921) 21名
昭和31年 (1956) 110名   35年 5.23倍 0.149/年 太平洋戦争を挟む
昭和39年 (1964) 250名    8年 2.27倍 0.284/年
昭和50年 (1975) 450名   11年 1.80倍 0.163/年

平成29年夏         長瀞 長正館へ一泊                2017年

2017年 − 1964年 = 53年
半世紀前、明石製作所の総勢250名が、老舗旅館「長正館」の庭で、上の写真(現物は白黒)を遺した。
その場所は、53年後の平成29年、どのようになっているか。確かめたくなった。
2017年9月6日、長正館に一泊、宿の協力を得て、上の写真と重なるようなアングルを探した。
それが、下の写真となりました。しかし、今の建屋の二階客室のベランダからの庭は、上と重ならない。
53年前の庭の植木は、当然、姿を変えているだろうが、芝生の主役は変わってない。
背後に流れる荒川の、対岸の岩の形は、一致する部分も見られる。
しかし、二階から撮った写真との推察は、間違いで、更に高い所からの撮影を思わせる。
建屋は二階建てであっても、見晴台のようなものがあったのではと想像したのだが・・・
この庭の向うの河原が、荒川船下りの、船着き場中間点。ここから乗船は半分のコース。
戻りのバスが、長生館前でも停車したのは、老舗の力ではなく、船着き場との距離だったろうか。
土日は、熊谷から、長瀞までSLが走り、にぎやかだそうだが、
外人観光客の姿も見えない、ウィークデイの、静かな佇まいを堪能しました。

       長正館も大正時代の創業  創業大正4年(1915年)、創業100年        


長正館は、奇しくも、明石創業の一年前に創業だった。創業百年を二年前に迎えていたようです。
上の写真は、長生館ホームページからお借りしました。
下は宿泊の御礼と案内の葉書です。9月14日受領。

            NHKのブラタモリ  長瀞   2017年8月19日        

2017年8月19日、NHKのブラタモリで、長瀞を取材。
長瀞の地質学的な特徴をまとめて紹介されている。長瀞へ訪れる前の予習には良い教材でした。
タモリさんも長生館に宿泊されたと宿で聞きました。
しかし、9月?日、YOUTUBEに有った動画のNHKのブラタモリ長瀞が消されてしまいました。
YOUTUBEに有ったのは、上の画面が、画面の右上角に縮小表示のもの。
拡大表示しても全画面とならず。
消されたのは、NHKには未公認のものだったのか。有償でのビジネス(オンデマンド)のためだろうか。
ならばと、埼玉県観光案内長瀞町編をお借りしました。
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