小金井製作所社史からの明石和衛の山本工業(小金井)再建物語 

戦後のGHQ体制下、インフレからデフレ不況へ
昭和24年、瀕死の山本工業は、明石和衛に社長就任を要請。 

明石和衛は当初、この要請を固辞していたが、組合からも就任を望む声が強かったため、
意向をくんで、看板だけの社長ならの条件で承諾・・・

かつて、明石和衛の輸入事業を譲渡し、技術屋と営業屋という、互いの得意技の異なる所から、
補い合う所があっただろうか。良きお付き合いのようであった。
この友人の苦境、救えるならと、義侠心が発揮されたようだ。

しかし、状況は厳しいものであり、結局は、積極的に会社再建に身を投じ、
工場の寮に寝泊まりしながら、問題点の洗い出しと、解決への方策を立案し、
それを明示しながら、みずから陣頭にたって、これを促進したと、社史は綴っている。

下の情報は、「小金井製作所社史」小金井製作所編 1985年11月出版 神奈川県立川崎図書館所蔵のものからコピー。

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