昭和も 遠ざかり 今は もう消えてしまった あの なつかしい 仕事場 広く 全国から集い きそい合い また 去って行った人々 さまざまな形で 残したあしあと
できることなら いま一度 振りかえって あの頃 そこに わたしたちが居たことの あかし(証)のような 何かを探したい あの仕事場の ・・・
明石和彦社長 小金井製作所社長兼務
明石和衛社長は、昭和31年5月5日、巨人戦を観戦中に突然倒れ、翌6日、帰らぬ人となった。
明石和衛社長の急逝で、明石和彦取締役(35歳)は、明石製作所の社長に加えて、
小金井製作所の社長にも就任することとなる。
父和衛社長の背負ってきた大きな遺産をそのまま引き継ぐ。
誰が引き取っても大変な仕事。
大組織で、職務の分担が整理されていれば、荷が軽い事もある。
しかし、中小、中堅企業では、多くの事を日日、問い掛けられ、判断を要求される。
企業は、絶えず危機の連続といった見方もある。
時代は、技術の進歩も速くなり、それ故に経営判断の難しい時代に差し掛かっていた。
突然、二つの企業を任される事となった、明石和彦社長。
既に、それらを背負うべき人格と、周りも認めるところであっただろうか。
以後、期待を背負い、若さと使命感が、多くの試練を越えて行く。
下の情報は、「小金井製作所社史」小金井製作所編 1985年11月出版 神奈川県立川崎図書館所蔵のものからコピー。