昭和39年夏 坂戸寮・技術の総勢7名 木曽駒から空木まで 

当時は、まだ、電子ゲーム器やパソコンも無く、若者のレジャーに、山登りは人気があった。
誰が音頭をとったか、皆で行こうとなったようだ。
皆、若かったが、当時、木曾駒は、まだ、ケーブルは無く、
駒ヶ岳への登り坂は、厳しい長い道、辿り着くのがやっとという人もいた。
左から、小林、出浦、新名、中山、久保、薮、和田様。

当時技術部に在籍されていた、三輪修三先輩は、「私が昔、山登りした時は、地下足袋に脚絆だった」と。
皆、立派な登山靴、昭和20年代から、30年代へ、豊かさの差がそんな所に出ていたようです。
しかし、このメンバーの中には、高校時代、バイトの山仕事で、地下足袋、脚絆の経験者も。


空木に向かう尾根道の一行 和田正夫様撮影の傑作写真
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